私が免許を取って最初に乗った車、硬派のクロカン4駆といえば聞こえはいいが、乗りごごち最低の板バネサス。しかし10数年を越えた今でも色あせないフォルムは絶品?。
家の現行農耕車。最近は軽トラでも12バルブ。低回転トルク重視のエンジンセッティングとギア比が低いので1足でラフにクラッチミートするとロケットスタートになる。
さすがにトヨタの最低級パーソナルカーの最低グレードだけあって、装備は何もついていない。集中ドアロックやパワーウインドウはおろか、トリップメーター(押すと0に戻るやつ)さえついていない。コーナーリングは最低でステアリングを回して2秒後に車体が傾き始めさらに切り込むとやっと曲がり始める。(・・・と思っていたが、慣れてくるとFF独特の左足ブレーキの走り方で曲がると結構曲がったりする)しかし3気筒クワトロバルヴォーレの3Eエンジンは発信加速(0キロから10キロまで)だけをとってみるとなかなかのものである。現在のサードカーである。
Z32につけていたレカロとMOMOのステアリングをおごっている。
嫁の弟に譲渡 2000.4
この車はちょっとつらい
何年式か解らないが、とにかくリアガラスが枠なしで上がるやつ。2速オートマ。
ミニキャブの前の軽トラがこれ、私が最初に公道で乗った車。
最後のFRジェミニ。でも家のは親父が乗っていたので、ディーゼルだった。実質、私が最初にのった乗用車。上の方でブリザードが最初と書いてしまったが、じつはこのジェミニが最初。2000ccのディーゼルエンジンだったと思う。
お袋さんが乗っています。6人乗りのやつ。真ん中のシートのつけたりはずしたりがめんどくさい。なにせ、シートが重たすぎる。それと、6人乗りにすると、結局大人は4人しか乗れない!?
真っ赤なZは西土佐の山の緑によく映えました。オートマでしたが、さすがに3リッターターボのパワーは1.5トンを超えるボディーをグイグイ加速させます。しかし、エンジンフィールや音は今ひとつでした。ハンドリングはその車重にもかかわらず、スーパーハイキャスと4輪マルチリンクサスペンションのおかげで、いくらでも曲がる車に仕上がっています。特に西土佐のバンピーな舗装道路も、そのサスペンションは的確に路面を捉えていました。この車も発売から10年たってもかっこいいと思う。また、ほしくなった・・・
フェアレディとの出会い
あれは、青年団の全国大会で東京に行ったときのこと。試合も終わって(実際は自分が試合に出た訳じゃなく役員としてお手伝いで行ったのだった)指定ジャージで銀座をブラブラしていると、角の日産ショールームになにやら人だかりが・・・そこには、雑誌などで華々しく紹介されていた真紅のフェアレディーが展示されていたのだ。つづく
なかなかいいですマニュアルミッションのプリメーラ。V-TECとまではいかないまでもレッドまでスムーズにふけるSR20DEエンジン。とてもセダンとは思えない堅いサスセッティング。そして、なんといってもコーナーリング性能がすごく気持ちいいです。でも、その分前輪が減るのが鬼のように早い。Z32と同じようなコーナーリングの感じがします。4万キロで中古をかって、もう10万キロを軽く越えました。まだローンが残っているし、あと3年は乗れるかな?
やっとローン終わりました。お疲れさま。
ボディー剛性がもっとあれば、ものすごく楽しい車になると思う。4輪ダブルウィッシュボーンサスはあまり路面を捉えてないようで、LSDなしではタイトコーナーはちょっとつらい。オープン時の爽快感は、フロントウインドウがわりと起き上がっているため、旧ユーノスロードスターやビートより上。それでいて風の巻き込みも少ない。
リアが重すぎて、荷重移動しなければなかなか曲がらない車だった。テクニックがあればすごくおもしろい車だったのかもしれない。ちなみにATだったけど、スーパーチャージャーとのマッチングがとてもよくて、結構速い車だったと思う。約5年間、10万キロ強のお付き合いで、手放すことになってしまった。もっと乗っていたい車だった。
MR2との初対面の思いで
あれは、私がまだ中学生だったころ、日本中で博覧会がブームになったことがあった。たしか、ポートピア博覧会が最初で、各地で○○博と名前を付けては、輝かしい未来に向けての技術のお披露目があった。その中で、地元高知で開催されたのが「くろしお博」そこにもトヨタのコーナーがあったのだ。たぶん何回目かの東京モーターショーのすぐ後に行ったので、それに出展していたコンセプトカーが展示されていたのだ。その展示車の中でもひときわ目立っていたのがMR2。もっともこの時点ではSV3という開発コードネームだったと思う。斜めになった回転テーブルに鎮座したタルガトップのSV3は、スーパーカーの様に見えたものだった。まだ免許も持っていないのに、こんなかっこいい車を運転してみたいと思ったのでした。
今はスターレットさえなくなってしまったが、FRのスターレットがあったのだ。俗にケーピーロクイチといって、あの有名なハチロクなどとおなじく通には形式で呼ばれていた。トヨタさんまた、ライトウエイトスポーツをつくってくださいよ。ただし、後ろかきじゃないとダメですよ
言わずと知れた、ハチロクトレノは、スプリンターのほうですね。カローラファミリーがFF化して在庫のFRコンポーネンツを残してトレノとレビンを販売した。(んじゃないかなぁ)