パソコン


 全国的にインベーダーゲームが流行し、家庭ではゲームアンドウォッチが幅を利かせていた時を同じくしてマイコンブームが到来した時代・・・

CASIO FP1100(1号機)

CPU:Z80 メモリ:64KBくらい カセットテレコ グリーンモニター
 知る人ぞ知る、(いや、知る人もいない?)カシオが初めて世に送り出した出した8ビットパソコン。当時流行の最先端だった本体とキーボードがセパレート。メインメモリー64KB(だったと思うメガじゃなくてキロ)全8色表示だが、私はグリーンモニターで使用していたのできれいなグラディエーションで表示された。記念すべき私のパソコン第1号機である。BASICでゲームを作っていた。私がこれを選択した理由は8801は高かったし・・・それからなんだっけ・・・忘れた!

FM77AV購入後、友人に売却



富士通 FM77AV(2号機)

CPU:? メモリ:128KBくらい・FDD・アナログRGB入力TV
 高速8ビットCPU、夢の3.5インチFDドライブ搭載(富士通は0ドライブ)、4オペレーターFM音源搭載、4096色同時表示ができる、当時としては驚異のスペックを誇る。DTMを始める。日本ファルコムのザナドゥにはまる。4096色対応の縦スクロールシューティングも買ったな・・・

1995年頃イベントの景品として寄付


NEC9801LV21(3号機)

 CPU:V30 メモリ:640KB、FDD×2、→(1ヶ月後)テンキーボード
ラップトップパソコン(当時そう言っていた)の普及機。液晶モニター(たぶんDSTNモノクロ8階調)が見にくかった。一太郎Ver3、LOTUS1-2-3等をそれぞれFD1枚に納め仕事に使った。膝の上(ラップトップ)に置いて使うには少々重たい。机の上でも移動が大変なので自作で木製のスライド式台を作った。

9801Nの購入に伴い下取り


NEC 9801N(4号機)

CPU:V30、メモリ:640KB、1MBのRAMドライブ
LV21と同じ使用状況。RAMドライブは快適な日本語変換をもたらした

1995年頃に、PCエンジンと共に友人に売却


NEC 9821 model s1(5号機)1991年頃

CPU:80386SX 20MHz、メモリ1.6MBRAM、80MBHDD

初期はDOSマシンとしてメニューソフトを入れて上の環境で使用していたが、おまけで付いていた。WINDOWS3.0を入れたのが、私のコンピューター人生を狂わせた元凶となったことはその時知る由もない。GUIベースのOSが照準搭載のメモリで快適に操作できるわけもなく。メモリー増設地獄に陥ってしまう。
→メモリ2MB増設(全3.6MB)それでも1万円くらいしたぞー
→メモリ4MB増設(全7.6MB)3万位したんじゃないかー
→メモリ4MB増設(全11.6MB)これが最大容量だったと思う。
→CPUアクセラレーター486DLC装着
→HDDを120MBに交換・・・あまりかわってない・・・
NEC最初の21を冠する(冠じゃないな足する?)、それは256色表示ができた。一太郎Ver4、LOTUS1-2-3を主に使用。試しにWINDOWS3.0をインスト−ル。重たくて使えない。ソフトがない。

今も現役で家の茶の間で子供のおもちゃとして活躍中。近々Web閲覧専用機にする予定。

だったが、あえなく断念。半年くらい知り合いにかしだす。

懐かしの98ゲーム専用機に活躍中・・・としたいが、ディスプレイを下記のAS2に使用しているので倉庫で眠っています。

な、なんとある高校から10台頂いたパソコンがこれ。でもハードディスクがないから使えねー!!

4台は、棚の足として現役活躍中!! 2000.5


NEC 9821AS2 (6号機)1992年頃

CPU:486SX 33MHz 、メモリ11.6MB、210MBHDD、CDROMドライブ、WINDOWS3.1
→メモリ8MB増設

3.1は非常にサクサク快適に動いた。安定性もあった。でもメモリー足りない・・・

→ハンディスキャナー購入、付属のレタッチソフトで画像処理を始める(全19.6MB)

→DX2_ODP、メモリ16MB増設(全35.6MB)7万5千円!!。ベクトル系のグラフィックソフトの作画速度が数倍に上がる!!

→メモリ16MB増設(全51.6MB)

→ディスプレイを21インチを追加(イーヤマ。それでも20万は越えてた)

→フラットベットスキャナー購入

→DX4_ODP


NEC 9801DS (7号機中古)1992年頃

CPU:386SX 16MHz 、メモリ9.6MB、100MBHDD

友人から購入

ビデオタイトル専用機として使用する予定

→あまり使わないまま、知人に売却


 THINK PAD 230CS (8号機)1993年頃

CPU:486SX 33MHz 、メモリ8MB、130MB HDD 8インチDSTN

 若干、衝動買いの感じがある。サブノートという言葉が出現し、それもカラー液晶につらされ、30万あまりで購入。結構いろいろ使えたが、机から落下させ、子供が追い打ちをかけるように踏み台にして踊ったため、あえなくダウン1年半位いの短い命だった。

 な、なんと99年奇跡が起こった。バイトに来ていた女の子に「パソコンちょうだい」とせがまれたので「あげるよ!」と動かない230をポイッとあげた。家に帰った女の子は喜んでそれを使った。・・・え、使えた!!。・・・し、しまった。しかし男に二言はない。パソコンもしばらく安静にしとけば直るときもあるのね。


ショップブランド DOS/V機 (9号機)

CPU:Pentium 166MHz 、メモリ96MB、2GB HDD×2、8×CDROM UWSCSI
→メモリ 128MB増設

→4GB HDD増設 

 ビデオのノンリニア編集をする目的で秋葉のショップで組んでもらったもので、3年を経てWIN98が出ようかという時代になってもメインマシーンとして立派に活躍している。まあ、CPUの計算速度で言ったらクロックの分はPentiumUマシーンには遠く及ばないけど、フォトショップで、巨大な画像処理を行ってもそこそこ使える良いマシーン。

しかし、印刷のデータ入稿が色味の関係でうまくいかない。どうしよう!

やっぱり、コンピューターはMac。仕事で使うんだったらMacだよね。

このショップブランドDOS/V機は四万十楽舎に寄付したのであった。


Apple Macintosh Paforma 575 (10号機)

CPU:68040 33MHz 、メモリ20MB、130MB HDD

職場の先輩に、5万円で譲ってもらった。私とMACとの初めての出会いである。

Pentiumの時代に040ではねー。と思いきや、なかなかどーして、快適に動くではないか。さすが、ハードとOSが同じメーカーだとこういう風に作れるのかと思った。それにしても。フロッピーを取り出すボタンが無いのにはあせった。


TOSHIBA Libletto50 (11号機)1997年

CPU:Pentium75MHz 、メモリ32MB、810MB HDD

前の職場で机の上で仕事をするのにどうしてもコンピュータが必要だったので、なかばやけくそで買った。このキーボードに慣れてしまえばめっちゃいけてるリブラーになれる!(意味不明)人生最後のDOS/V機の購入。


Apple Power Macintosh G3 DT/233 (12号機)1998年

CPU:PowerPC750/233MHz 、メモリ288MB、4GB HDD

10年働いた職場を辞め、心機一転コンピュータで飯を食ってみるかと思い、ばーさんにおねだりして買ってもらったG3。WINTEL時代が長かったので、MacOSにはとまどうところもあったが、さすがはMac。人に優しい、直感的なインターフェースは使うほどに体になじむってもんだ。


Apple Macintosh LC630 (13号機)

CPU:68040/33MHz 、メモリ20MB、340MB HDD

さすがに68Kではちとつらい


Apple PHX100(14号機)

CPU:PowerPC601/75Mhz 、メモリ64MB、540MB HDD

ただいま、四万十楽舎の音楽室で、HPブラウズ専用機になってます。


Apple Power Book G3/333 (15号機)

CPU:PowerPC750/333MHz 、メモリ288MB、4GB HDD

やはり、持ち運べるのは使い勝手がいい。私は職場が2カ所あるので、データだけを持ち歩くというのもむりがあったので、購入に踏み切った。そのままマルチモニターができるので、DTPでも結構使える。ていうか、現在のメインマシーン。でもハードディスクが足りない・・・

→HDD_20GBに換装

やっと増やしました。これで心おきなく仕事に専念できます。2000.11.30

ウーン。IBMのこのハードディスクすごくうるさい___


Apple iMac_BB/350(16号機)

CPU:PowerPC750/350MHz 、メモリ64MB、10GB HDD

子供専用機になっていたが、あるものを購入するため友人に売却

つづく