寺岡正博氏をしのぶ

 若くして(顔は若くない)この世を去った寺岡正博氏の作品を後世に残そうとの声がぜんぜんないので、いちおう腐れ縁の私が、むりやりここに紹介します。

■略歴
昭和42年10月14日 高知県幡多郡西土佐村大宮生まれ
 大宮保育所時代は、記念写真を取るときには魂が抜かれぬように目をつむるくせがあった。あだ名は「マサロ」大宮小学校時代に漫画を読むことにはまる。このころから教科書の挿し絵や空きスペース、ノート等に漫画を描きはじめる。そして西土佐中学校へ進む。毎週4、5冊の週間少年漫画を買っていた。もう一つのあだ名は「ワイパー眉毛トイレットスピーカー唾飛ばしいくじなし水かけ早とちりのプーさん」と呼ばれていた。顔に似合わず成績は優秀。中村高校西土佐分校にトップの成績で進学。同じく授業中に絵を描くが、オリジナル作品も手がけ始める。筆記用具その他の画材にこだわり、64色の色鉛筆や、色の本、インクなど道具だけは揃える。卒業後西土佐村役場へ就職。産業課に配属。カヌーがうまく漕げず3ヶ月で保健センターへ移動。新しいものが好きで特にワープロ専用機を10台程買っては売り買っては売りを繰り返す。「ワープロのマサ」と言われる。3年で税務係へ。パソコンを使い始める。バンジージャンプが流行り始めた頃、車で谷にダイビング。2ヶ月ほど入院。CGを始める。平成7年頃、新しいパソコンを購入し、フラクタルデザインペインター4とワコムタブレットでイラストを描き始める。
平成7年12月19日夜、またもや自動車で、こんどは倉庫に激突し死亡。29歳

保育所時代

中学時代

高校時代

作品