LASIK実況生中継その3
高周波の唸りを上げ、マイクロケラトーム(電動メス)の刃が角膜に迫.ります。
今、我々の成すべき事はただ一つ。それは、死んでも動かないこと。
あ、さて。皆様。既にお気付きのことと存じますが。
このトコロやたらに、動くな、動いちゃダメよ、固まれ止まれと、強迫観念だか念仏だか知らないが、
同じフレーズが何度も繰り返されております。
いい加減、ミミタコですね。
っていぅかぁ、シツコ過ぎぃ?であると重々承知致しております。
ですが、ご批判ご叱責、甘んじてお受け致しましょう。
なぜならばっ!
眼球の固定における被術者の協力強調は極めて重要な要素であり―…って、まぁ、
実は、そんな大上段に構えての事では無くて。
要するに、この状況下でこたつMkUにやれることは、それしかない、ってのが本音であります。
以後も何度か、動くな、だの、固まれだの繰り返すとは思いますが、
みなさま、どうぞ適当に聞き流しておいて下さい。
大丈夫です。いざ、その状況下に置かれれば、あなたもきっと同じフレーズを何度も繰り返す筈です。
死んでも動くな、固まれ止まれ!と。
角膜が切れて行く感触は、手に取るように分かりました。
痛みは、今のところ皆無です。
腹筋に力を入れ、呼吸を止め、長い瞬間をじっと耐えます。
必死に見続けていた赤い光が、ふっと見えなくなりました。
何かに遮られたのです。
目の前を、…いや、眼の内側を、灰色の影が通過していきます。
言うまでも無く、マイクロケラトームの刃です。
眼窩へ伝わる、鈍い振動。そして、切り終わった後、ほんの少しだけ感じる、沁みるような痛み。
それだけでした。
暗く淀んだ視界に、再び、赤い光点が復活します。
『はい。とても良いフラップが出来ました』
田内先生の言葉に、こたつMkUは、鼻で慎重に、しんちょ〜〜に、息を吐きました。
ハムスターのように、浅く小さく、呼吸します。
『ではフラップをめくります。視界がぼやけますが赤い光を見続けていて下さい』
ふんぐっ。また、即座に息を止め、光を凝視します。
フラップがめくられました。
赤い光点がぼわっと滲み、視点が一気に定まらなくなlります。
考えてみれば、角膜が無いって事は、ほとんど失明状態なワケです。
一点を見据えるもヘッタクレもありませんが、とにかく、おおむねそこいらへん、と言いますか、
いびつに滲んだ光の中央付近を出来るだけ凝視します。
『それでは、レーザーを照射します。照射時間は30秒です。少し刺激があったり、
焦げるような臭いがあるかも知れません』
―せっ、先生。
ここで、こたつMkUは、手術開始後初めて口を開きました。
顔の筋肉が迂闊に動かせないので、もごもごとした発声ですが、遠慮などしている場合ではありません。
執刀医である田内医師に、単純かつ、極めて重要な質問をします。
視線は、眼の位置はこのままで良いですか?
『はい。そのままでいて下さい』
その一言は、嵐の海に煌く灯台の光です。
指標は明確に定まりました。視線の方向はこれで良い。このままです。
何がどう見えようが、このまま眼球さえ動かなければOKなのです。
さぁ、矢でも鉄砲でも持って来いってんだ!
エキシマレーザー起動。照射開始。
ジッジッジッジッ。
特徴的な音と刺激が、角膜で弾けます。
高電圧のかかった電極が放電する音。電気メスが、皮膚を焼き切る音と同じです。
その音に合わせて、物理的な衝撃が眼球に伝わります。
赤い光も、薄暗い闇も、全てが茶色に色褪せて見えます。
『照射時間、残り20秒………10秒』
スタッフの方が読み上げるカウントダウンの声が、やけに明瞭に耳に届きます。
永い長い30秒。大げさでなく、持てる気力を振り絞り、見えない光を見詰めます。
『3、2、1、照射終了』
一瞬の静寂。
そして、田内先生の穏やかな声が、オペ室全体に、波紋のように広がります。
『うん。成功です。照射面に異常ありません』
ほおぉぉっ・…っと、身体中から力が抜けました。ついに最大の難関突破です。
しかし。安心するのはまだ早過ぎます。LASIK手術は、まだ終わってはいません。
『では、フラップを元に戻します』
再び赤い光と、そして、角膜を摘んだピンセットの銀色が見えました。
いやー。角膜って偉大ですね。フラップ作成前の視界が概ね回復します。
『フラップの皺を伸ばします。直接眼に触れますが心配ありません』
はいはい。どうぞご遠慮無く。
この苦難の道を歩き始めて以来、こたつMkUはひと回りもふた回りも成長致しました。
今さら眼の表面に触れるくらい、屁でもありません。
田内先生が、白っぽい小さなヘラで、角膜表面のシワを伸ばして行きます。
3、4回程度、角膜を撫でて、それでOKです。
スタッフの方が、3分間のカウントダウンを開始しました。
角膜の初期接合を待つための時間だと思います。
そして。きっかり三分後、開瞼器が取り外されました。
右目のLASIK手術、終了です。
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