何を隠そう、私はAVマニアである。ちなみにAVとはオーディオビジュアルである。ものごごろついた頃には、すでにレコードプレイヤーが茶の間にあるといった、貴族の家庭に生まれた私は、音に関しては少しうるさいほうである。ビジュアル的にもそのころすでに4本足のモノクロテレビジョンが茶の間をにぎわし、見ないときにはショールみたいな物をテレビにかぶせていた。
ついに家にもビデオが来た。見たいテレビ番組があっても録画しておけばその間に勉強が出来る。という理由を付けて、家族で購入。デッキ本体が20万を切った商品が登場する中、シャープが158,000円という市場破壊価格で勝負に出た。うちの家が買ったのは、たぶんそのシャープのOEM供給トヨタだった。まあメーカーは何でもいい、ちゃんと録画できるのだから。(そう、当時はレンタルビデオソフトはおろか、市販ソフトも無かったので、放送する番組を録画して楽しむしかなかったのだ。)しかし問題があった。ビデオテープが120分で5,000円もしていたのだ。こんな金額だったら、おいそれとテープを買うことが出来ない。しかたないので、本体購入と同時に、サービスとしてもらったテープを何度も使っていた。(本当に120分テープを大事に使っていたと思う。学生だったこともあるが、今でたとえて言うなら、120分テープをもう1本買うのは外付け32Gバイトのハードディスクを追加するくらい勇気がいった)
TOSHIBAが世界に先駆けて?テレビをAV機器の核(CORE)にしようと売り出したのがこれだとおもう。確かに、当時まだ赤白黄色のRCAピンプラグがあまり一般的では無いときに、背面2系統、全面1系統の入力。出力1系統、アナログRGB端子や、スピーカー出力に加え、スクェアーブラウン管等、マニア心をくすぐる内容で15インチで15万くらいしたと思う。FM77という8ビットパソコンのモニターを兼ねて使用していた。ステレオ放送が始まったばかりで、FLT表示に”ステレオ”と表示されると感動したことが思い出されてなつかしい。
CDプレイヤーが普及し始めた頃。少し遅れて、絵の出るレコードとしてレーザーディスクが発売された。当時家庭で見られる映像でもっとも綺麗なのは放送局からの電波。ビデオはVHSかベータしかなかったので、パイオニアから最初に発売されたレーザーディスクは水平解像度400本というスペックで当時のテレビの表示できる解像度を上回っていたと思う。確かにメリハリの利いた映像は映画を見るのには良さそうだと思い。CDプレイヤーも持ってなかったし、思い切って買ってしまった。ビデオ入力端子がようやくテレビにも付き始めた頃で大型化も一般化しつつあり、さらに思い切って29インチを一緒に注文した。当時の部屋の様子を描写した絵画を発見したのでここで一般公開する予定。なにせ勉強が嫌いな学生は暇なので、いろいろなことを考えてはイラストにしてみたりした。そのころ書いたSF短編小説がこれ、
漫画はこれ
後に出てくる、ダイアトーンのスピーカーと一緒に買った。現在も現役で使用している。当時29インチが家庭で手軽に買える最大にして最高の大きさだった。当時S端子の規格が存在していなかったため、水辺解像度600本以上をうたっていても、それをいかせる端子はRGB端子接続しかなかった。